視野を広く持つこと

暗くなりがちな心に対抗するひとつの方法として、視野を広く持つことがあるのではないかと思う。
うだうだと悩んでいる問題を、もっと大きい人生のフレームの中でとらえなおしてみる。動かせないと思っている前提を、前提と思わず流動的に考えてみる。全部をとっぱらって、まっさらな状態から何をとっていくか考えてみる。
そうすると、自分のすべてを決定してしまうほど重大だと思っていることが、実はそれはそれほど重大ではないことが分かるかもしれない。そもそも、なぜそこに関わっているかが見えてくるかもしれない。

暗い日

常に、自分がろくでもないことしかしていないという感覚がある。気持ちは暗いところをたゆたう。晴れることがない。
そんなことはない、大丈夫だ、と頭で思おうとしても気持ちがついてこない。胸の下が重いような感じがつきまとう。ずっとこんなものを持っていたのだろうか。子供のときはなかったはずだ。いつの間に背負い込んでしまったのだろう。
でも、僕だけではないはずだ。程度や質の差はあっても、きっとみんなこういうものを抱えながら毎日を過ごしているのだと思う。それをきちんと自分で見つめられるか、受け入れられるか、処理できるかの問題なのだろう。
多くの人はできる。僕はできないかもしれない。振り返ってみると、自分の責任を回避して、逃げてばかりの生き方だった。別に、最近になって変わったわけではない。僕は昔からなにも変わっていないのだ。
頑張らなければ誰かに迷惑がかかる。大きくなると、迷惑をかけているのが分かるようになる。それだけ。単純な理屈だ。
僕はいつも遅いんだ。どうしようもなく幼稚なんだ。そしてそのことにイラつき、もっと別にものに変わりたいと思う。けれど同時に、このままでいたいとも思っている。自立したいと思うけれど、簡単な手段はない。面倒だ。このままでも当分いけそうだし、別に無理しなくていいのではないか。そう考えてしまう。
腐っている。
いつも焦っている。起きるのも、飯を食べるのも、眠るのも。本を読むのも、テレビをみるのも。毎日、常に焦りながら何かを消費していく。消費していないと、生きている価値がないような気がしてくる。どれだけ消費したかでしか、その一日の価値を測れない。毎日、その日の価値を測らないと不安になる。そういう日々を積み重ねていくだけ。
他人は鏡。ウェブを少しうろうろすれば、腐った自分の姿を簡単に見つけることができる。心の中で批判し、嫌悪し、罵倒する。ときどき言葉にもする。ビクビクする。少しずつ心が痩せていく。

昨日みた夢

目が醒めかけている。そろそろ起きようと思う。夢の中で光に向かって歩き出す。でも起きられない。僕を目覚めさせないようにしている者がいて、そいつが前に立ちふさがっているのだ。大きい。熊のような形をしている。というか熊だ。
そいつは、とにかく僕の邪魔をしようとしている。理由は分からない。邪悪な意志を感じる。でも、不思議と恐怖感はない。まいったな、とだけ思う。今から考えると、僕は僕であると同時にそいつであったのかもしれない。
そのとき、母と妹が話しているのが聞こえてくる。母が妹を軽く説教している。内容は「もうちょっと考えてからお金を使いなさいよ」ということらしい。妹が母から少しお金を借りていて、まだ返していない。旅行に行ったり洋服を買ったり、いろいろやりたいのは分かるけれど、全部をとることはできない。何かをやったら、他のことを我慢しないければならない、ということを話している。
母の言っていることは確かにそうなので、妹は口答えしない。だけど、という感じは伝わってくるが、ちゃんと悪いと思っているようだ。とりあえず5000円返すよ、と言ってお金を渡そうとする。母は「別に無理しなくていい」と返す。確かに、母は別にお金を返して欲しくてそんな話をしたわけじゃないだろう。
きっと妹は、まわりの友達はいろいろ楽しんでいるのに私は、みたいなことを思っているのだろうなと考える。なんでまわりと同じように楽しんでいるだけなのに私はお金が足りなくなるのだろう、なんで私はいろんなことができないのだろう、と。
そういう気持ちはよく分かるので、僕は妹に同情的な気持ちになる。そして、そのみじめさの要因には、兄である僕も入っているのかもしれないと考える。なんで私の兄はああなのだろう、と。確かになんで僕はこうなのだろう。少なくとも楽しい気持ちにさせてくれる兄ではない。事実だ。
そんなことを考えていたら、悲しくなっていつの間にか目が覚めていた。朝7時。

働かざるもの食うべからず

ご飯が食べられるという状況を当たり前のように享受しているけれど、それにもけっこうお金がかかっているんだ。食費という概念があることは頭では分かっているし、食材をお金を出して買うことはもちろんしょっちゅうある。でも、日常的な食卓がずっと続いてきて、その存在を疑ったことがなかった。経験として、すごくお腹が空いたことがないのだなと思う。
食べていけて当然、という傲慢な感覚に包まれている。
ただ、空腹になることへの恐怖感はある。食事からしばらくたつと、頭の栄養が減ってくるのを感じる。頭がぼーっとして、気分が悪くなってくる。お腹が減ったら、これがどんどんひどくなっていくのかと思うと怖い。

疑問

人間はいつから、鏡にうつった自分の姿を自分だと認識できるようになるのだろう。はじめからだろうか。あるいは、他人から教えてもらっているうちにだろうか。
あと、いつまでもそう認識できない人、というのもいるんだろうか。頭では分かっているのだけれど、鏡を見ながら常に不思議な感じがしている人。もちろん、ほとんどの人は多かれ少なかれ鏡を見て違和感を感じていると思うけれど、もっとそれ以前の問題として。
僕の場合は、鏡にうつったものを自然に自分だと認識している。と思う。ただ、いつからこうなったのか、ぜんぜん覚えていない。

眠くならない

どうして、眠いときに自由に眠ると生活リズムが崩れるのだろう。
今日、少し昼寝をしようと思って、昼食後に横になった。眠気を感じていたので、自然と眠れた。そして、目が覚めたら5時をまわっていた。3時間以上眠ってしまったことになる。
目覚ましをかけなかった自分も悪いけれど、こんなのってちょっとないんじゃないかと思う。おかげで今、ぜんぜん眠くならない。