疲れた

最近よく「疲れたな」と感じることが多い。精神的にもいろいろあるのだろうけれど、それだけでなく体がだるいと感じる。
なんでだろう。食べる量が少ないのかもしれない。体重計のメモリーを調べてみたら、半年前から徐々に体重が減ってきていた。変化の量は小さいけれど、確実にそういう傾向があった。
でも、ここ一年くらいはずっと、食欲に忠実に、食べすぎず食べなすぎずだったと思ったんだけどな。むしろ最近は、食べる量が少し増えてきたかなと感じていたぐらいだ。
とりあえず少し、食べる量をもう増やしてみようと思う。

今日みた夢

真夜中、机に座ってパソコンをいじっている。自分の部屋。窓際の席。自分の左に、大きな窓がある。カーテンはひいていない。窓の外は真っ黒な闇だ。
セキュリティ関係の設定をしている。緊急の問題でもあったのか、切迫感がある。しばらく作業した後、ひととおり設定を終えてひと息つく。
が、しばらくして手順を間違えていたことに気がつく。些細な間違いで、大きな影響はないのだが、ある部分で穴が開いたままだ。それを修正するためには、かなりさかのぼって作業をやり直さなくてはならない。面倒だし、このままでもまあいいかと思う。
そのとき、一瞬、視界に光があふれる。窓の外から、刹那的に強い白い光が差し込む。カメラのフラッシュ?写真を撮られたのか。だけど、ここはマンションの3階だ。ありえない。雷だろうと思う。
しかし、次の瞬間、絶対的な恐怖に襲われる。今の光は雷なんかではない。闇の中になにかがいる。そいつが写真を撮ったのだ。そいつは、もう闇にひそんでいることを止めたのだ。僕は、穴を完全に塞ぎきらなければならなかったのだ。しかしもう遅い。作業は不完全だった。穴は開いたままだ。
僕は、間違えてはならなかったのだ。
というところで目が覚めた。午前3時。怖かった。

なにかと傷つく

なにかあるとすぐに、勝手に、傷ついてしまう。
傷つくと、とりあえずその気持ちを隔離する。そして、なにによって傷つけられたか考えてみる。暗い気持ちにつからないように注意する。大丈夫、自分は大丈夫だと思い込もうとする。
でも駄目だ。どんなに冷静に素早く対処したと思っても、すでに傷ができている。隔離したと思っても、その存在感は僕を落ち着かなくさせる。気持ちは、確実に暗くなっている。
この歳になって、立ち直り方もいまだによくわからない。自分の気持ちを制御できない。

浅い

考えが浅い。ごちゃごちゃと自分の考えみたいなものを書き出してはいるけれど、どれも浅い。どこにも行かない。つまらない。
ぬくぬくと育ってきた、お坊っちゃんのお悩み。悩めばいいと思っている。切実さも、人生での裏打ちもない。
読んだ人を瞬時になにかしら不快な思いにさせるだろうな、ということは自信がある。

ずっと心を閉ざしつづけていて

気がついたら、ひどく寒い、貧しい人間になってしまっていた。もともとこうだったのか、それとも段々となってきたのかは分からない。いつのまにか、温かさや豊かさを持たず、心を開くことを知らない人間になってしまった。
自分で言うのも変な話だけれど、まわりを見渡してみると、どうもそんな気がする。自分が普通だととらえている考え方や価値観は、他人には貧しいものにみえるのではないか。必要以上に心を固く閉ざし続けてきてしまったのではないか。他人に対して心を開くというのは、自分が思っている以上に大切なことだったのではないか。それがあることで、人は心を温め続けていけるのではないか。
かといって、今さら自分の地金みたいなものは変えられないような気もする。

自分にしか聞こえないスピーカーがあったらいいな

自分にはあまり音楽を聴く習慣がない。音楽っていいなと思えるような経験や感性がなかったし、それで特に困ることもなかった。
ただこの前、疲れてボーッとしていて、でも眠くはなくて手持ちぶさた、というときにふと、こういうときに音楽を聴いたらいいのではないかと思った。テレビはうるさいし、映画を観たり本を読んだりするには疲れているし、でもあまり物事を考え込みたくないとき、こういうときのために音楽があるのではないかと思った。
そして、試しにいくつか CD をかけてみたら、知らない曲を聴いたときのような新鮮さを感じた。僕でも、音楽っていいものだ、面白いものだと思えるかもしれないと、少しうれしかった。
ただ、イヤホンやヘッドホンはどうも慣れない。違和感がある。できれば、普通に過ごしながらBGMとして音楽が加わるように、スピーカーで聴きたい。でも、スピーカーだと音楽を聴ける環境が限られてしまう。他人がいる場所で聴くことができない。大きな音で聴くことができない。他人に聴かれたくない曲を聴くことができない。
自分が聴きたいときに自由に音楽を聴けたらいいと思う。自分にしか聞こえないスピーカーがあったらいいのに。

書き出すとほっとする

思っていることをこうして書き出すと、少しほっとする。頭の中でうだうだ考えているとこもってくる何かが、放出されるような気がする。自分の外に出して固定することで、客観的な雰囲気になるからだろうか。せっかく考えたことを覚えていたい、という強迫観念みたいな必要性から解法される、というのもあるかもしれない。
何にせよ、自分が思っていることを文章で表現できるというのは素晴らしいことだと思う。僕は、文章に限らず何かを表現するのが苦手だ。だからこそ、余計に憧れの気持ちは強い。僕もいつか、そうだ、自分はこういうものが読みたかったんだ、と自分で思えるようなものを書きたい。書けたらいいなと思う。