働くってなんだろう

働くってなんだろう、ということを最近よく考える。働くってなんだろう。仕事ってなんだろう。
本を読んだり、いろんな人を眺めだりしていると、どうやら仕事というのは、今後の人生でかなり重要な位置を占めているらしい。そして、自分の生き方をどう定めていくかということと、深く絡み合っているらしい。
一時期は、仕事は主にお金を稼ぐためのもので、それ以外の時間に自分の本体がある、そういう生き方もできるだろうし、それで十分じゃないかと思っていた。でも、どういう考えで仕事をするにせよ、その仕事をするのは自分であって他人ではない。自分の労力と時間の一部は、仕事をすることに注がれることになる。それなのに、仕事をしているのは仮の自分だと意識して、ある意味で仕事を憎みながら生きていくのは、結構つらいことであるような気がする。
それ以前に、働かざるもの食うべからず、と言われているけれど、人間は働かなくてはいけないのだろうか。もちろん普通に生活していくためには何らかの収入が必要で、多くの人は働いてお金を得る必要がある。でも、生きていくだけだったら、働かなくても何とかなるのではないかと思う。具体的にどうするかというのは分からないけれど。僕が世間知らずの若者なだけかもしれないけれど。
まあ、働かなくても小さくなら生きていけますよ、という状況を考えてみる。もし僕がそういう感触を得たとしても、じゃあ僕は働きませんとは単純にならないと思う。そこには、自分の生き方をどうとらえるか、ということがかかってくる。働かずに生きていくことは、普通の教育のレールに乗って育ってきた僕にとって、こころのあり方みたいなものを大きく変えることになる。そして、そのあり方の変化を自分で見つめたとき、僕はそれに耐えられないような気がする。僕はそんなにタフではない。
考えがうまくまとまらない。文章が破綻してくる。とりあえず僕の場合、義務感で仕事をしても破綻するだろうし、まっとうに働くことにそっぽを向いて生きていけるほどタフでもないだろう、ということです。
じゃあどうするか。働けよ、ということになる。何をするか。自分は何をしたいのだろうか。わからない。どうせ右も左もわからないのだから、えいやで飛び込めばいいとは思う。でも、でも、うまく言えないけれど、「でも」という思いが消えない。もう少し待ってみれば、何か答えみたいなもの、ヒントだけでも見えてくるような予感がする。
そうこうずるずるしているうちに、フリーターに内定するのかもしれない。この道は、今をつらいと感じている多くの先輩が通ってきた道なのだろうか。そうかもしれない。そういう不安もある。一度、普通のレールから外れたら、もう戻れないだろうなとも思う。
でも、いま僕は待つ道を選びつつある。まあなんとかなるだろう。若者が抱きがちな幻想?そうかもしれない。そのときはそのとき。それよりも今はただ、頑張って日々を過ごしてみたい。後から振り返って、あの頃は頑張ったなと思える時期が欲しい。今の僕にはそういう思い出がない。後悔しかない。もっとああしていれば、という思いしかない。
この思いを消したい。十分頑張ったなという感触が自分の中にあれば、きっとその思いを軸に生きていける。