心の中で他人をおとしめようとすること

ああ、本当に自分はくだらないなと思う。のたうちまわって、まわりを混乱させて、自分にがっかりして、まわりに敵意をつのらせて。誰かの欠点を探して、少しでも自分が優れていそうな点を探して、それを大事に心の中で確かめて。気がつくと、いろんな人をおとしめようとしている。
人と触れ合うことができない。苦手だ。誰かが近づいてくると、いつも緊張してしまう。心の筋肉に力が入って固くなる。会話をしていても、焦って適当なことを口走るばかりで、ろくなことを言えない。もともと大した人間ではないけれど、自分がどんどん愚かになっていくような気がする。落ち込む。
でも、落ち込むということは、本当はこうしたいという願望があって、そこからの距離を感じているということなのではないだろうか。誰かの欠点を探して心の中でおとしめようとするのは、僕が本当は欲しいのに持っていないものをその人が身につけているからなのではないだろうか。嫉妬の代理戦争としての反応なのではないだろうか。
日常で感じる負の感情の大部分は、そういった自分の願望と現実の乖離が要因になっているような気がする。その乖離を認めたくない気持ちが、他の負の感情となって吹き出してきている、と。
では、僕はどうしたらいいのだろう。願望と現実の乖離を認めれば、少しは和らぐだろうか。そうかもしれない。
まず、自分を正確に把握したいと思う。自分を欺いて、何かから目を背けても心の中に負の感情が溜まっていくだけだ。自分を救いたいと思うのなら、自分を把握すること。自分はどうなりたいと感じていて、現在の状況はどうなのか。何を諦めて、何をとるのか。自分を分解して、解析していく。
心の中でまわりの人をおとしめようとしても、誰かに復讐できるわけではないんだ。誰かが正しくないとして罰しようと思っても、自分の気持ちがすさんでいくだけだ。誰かをおとしめているようで、結局それは自分を疲弊させていっているんだ。
自分の中に生まれる負の感情は、他人のせいではない。自分が選択してそれを感じている。負の感情というのは、僕が自分でそれを選択しているのだ。そして、その感情で害を受けるのは結局自分なのだ。そんなことってあるのかと思う。でも本当はそうなのだろう。
気持ちよく生きていきたい。自分の目的が何なのか、最近よく考える。分からない。でも、気持ちよく生きていければいいなと思う。少なくとも今は、自殺するつもりはない。つらくても、つらくても、死ぬわけではないんだ。僕はまだ死ぬ必要性は感じていない。自分の生が、自分にとって世界にとってどんなに不利益なものになっても、今のところそれを手放す気持ちにはならない。