起きて過ごして寝る一日

時間はちょっとずつ、でも確実に過ぎていく。僕の学生としての残り時間も、一日ずつ一時間ずつ減っていく。
僕は何がしたいのだろう。決して、何もしたくないわけではないと思う。でも、やりいことがないか自問してみても、何も思いつかない。そういうことを考えていると、気持ちが重くなる。目が暗くなる。
僕は、なにか大切なものをすでに失ってしまったのだろうか。自分の中に燃えるものを見出せない。昔は、こんなではなかった気がする。今よりさらに愚かだったかもしれないけれど、昔の自分はもっと温かだったと思う。戻りたいかと言われると、そんなことはないけれど。
いつかは、どこかに身をふらなくてはならない。今のままが続くわけではない。そして、それはもう決して遠くないところまできている。すぐそこ、というわけではないけれど、確実に近くに迫っている。
ただ、そういうことはあまり考え無いようにしている。目をそむけている。そのうちに何か進展があるだろう、と思っている。都合のよい言い訳で通している。僕はこれを予感と呼ぶ。
僕は自分で何も判断したくないのかもしれない。自分で何か決定をすることが、責任を持つことが嫌なのかもしれない。よく考えると、今までの人生で自分で考えて選びとった道はないような気がする。道はそこにあったものであり、与えられたものであった。親からであったり、常識からであったり、雰囲気からであったり。
結局、与えられたものは比較的せっせとやるけれど、自分から何かを進んでやったりはしない。僕はそういう人間。そう考えると合点のいくことが結構ある。
問題は、それを自分でそこまで不快に思わないことだろう。
今は、一日一日を無事に過ごすことに集中している。いろんなことは棚の上に置いている。とにかく自分が淀まないように、僕の価値観における「良い一日」を過ごせるかどうかに集中している。上手くいった日は、自分をきちんと管理できている感触があって、気持ちが少し明るくなる。まだ生きていけるんだという気がする。
でも、ふとしたときに、ポケットに落ちるように気持ちが落ち込む。僕が漫然と時を過ごすことで、自分を損なっているような気がする。なぜ僕はこんなろくでもない人間になってしまったのだろう。こんなはずじゃなかった、という気持ちと、受け入れろ、という気持ちがループする。
早く、諦観が欲しい。
今日も平和な一日だった。明日も平和だろう。