僕はなにができるのだろう

今まで、常にまわりの人々から奪いながら生きてきた。まわりの人々を損ない続けてきた。まわりに人がいたことがない。いたとしても、気がついたら嫌われている。憎まれている。いや、他人のせいではない。傾向があったということは、僕がそうしてきたということだ。僕が相手にそうさせてきたということだ。
今から変えられるのだろうか。僕が、他人に何かを与えていけるのだろうか。この肥大して凝り固まった自尊心を何とかできるだろうか。
何かが欲しいなら、それをまず他人に与えなければいけない。与えなさい。本当にそのとおりだと思う。それが僕の最近のテーマだ。でも、今まで実行されたことはない。これからもその見込みはない。
僕はなにができる?
コミュニケーションは苦手。会話、表情、文章、その他なににおいても思いや考えを表現するのが苦手。苦手だというのは把握している。苦手なのはしょうがない。これまで結構な時間生きてきてずっとそうだったということは、僕がそういう傾向のある人間だということだ。問題は、じゃあどうするかということだ。出発としては、それをコンプレックスに思わないことが大事だと思う。コミュニケーションが苦手だと思っていてもコミュニケーションはできない。苦手なら苦手なりに、なんとかうまくいく方法を、自分なりの方法を見つけなければならない。
頭もあまりよくない。最近本当にそう思う。今まで悪くはないのではないかと思っていたけれど、実は結構悪いほうだと気づいた。少なくとも、社会の上で頭がよいと思われる、入出力のスピードや傾向は僕にはない。頭を回転させようという意欲もない。求められるものは持っていない。
外見もよくない。しょうがないとは思いつつも、やっぱり外見が悪いのは気になってしまう。いろんなつくりがまずいのだけれど、問題はそれだけではないと思う。表情なのだろうか。雰囲気なのだろうか。どうも、僕はやはり変らしい。少なくとも、僕は僕を悪い方向で変だと思う。完璧なコンプレックスだ。
どうも愚痴ばかりだ。今日はここまで。