僕の価値観と劣等感

人間は結局、自分の価値観の中でコツコツやっていくしかないんだと思う。自分は自分、他人は他人だ。頭ではそれが正しいと思っているし、普段はそれで納得している。
ただもちろん、そんな僕の信条も揺さぶられるときがある。世の中には、自分とは比べものにならないくらい頭が良くてたくさん勉強していて熱心に研究している人がいる。少なくとも僕にはそう見えて、とてもかなわないやと思ってしまう人が。そして、いつもは関係ないと思っていても、ときどきそういう人を見かけて落ち込むことがある。僕はただ強がっているだけで本当はああなりたいんじゃないか、ただなれそうもないから偏屈な風を装っているんじゃないのか、と。
ただ、そういう嫉妬と劣等感で心が一杯になっても、その思いが僕をどこかに連れて行ってくれるわけではない。時間ややる気や元気をまきこみながら、のたうちまわるだけだ。僕も今までずいぶんとのたうちまわってきたし、これからもそういう気持ちになることはずっとあるのだと思う。
ただ最近になって少し救いというか、不思議に思うことがある。
たとえば自分の価値観の軸で比べたとしても、すべての面において自分より優れている人はきっといる。身近な人に対してひそかにここだけは勝っていると思っていても、そういうささやかな優越感を軽々と超えてしまう誰かが。そう考えると、すべての面で劣っている僕の価値なんてどこにあるんだと思ってしまう。実際に、そういう架空の他人を想像して気持ちが暗くなることもある。
だけど、僕より完全に優れた人間がいるとしても、僕が死ぬわけではない。僕は今ここに生きている。当たり前のようだけれど、そうなんですよね。価値を比較してすべてが劣っていたとしても死ぬわけじゃないし、死ぬ必要もない。だとすると、僕の価値観なんてそんなものなのかもしれない。
幼稚で笑ってしまうくらい単純なんだけれど、僕の中ではこの思いはけっこう救いになっている。