僕はなにがしたいのか

思い出した。ちょっと前に決めたばかりだったのに、もう忘れて脇道にそれそうになっていた。
それは、後から振り返ったときに文句なく「あの時は頑張ったな」と思えることを手に入れること。そういう思いは、きっと自分の中で大事な核のひとつになってくれるはずだから。
これから先、僕はおそらくもっと孤独に、もっとろくでもない人間になっていく。何か間違っている、失敗しちゃったなと思いながら、自分で自分を深みに追いやっていく。
それでも、そんな中でも生きていこうとしたとき、今手に入れたいと望んでいる思いは貴重な燃料になってくれると思う。心の中で温めながらやっていける何かに。
そうだ、頑張らなくてはいけない。頑張るというのは、続けるということだ。意識的に自分を追い込むことだ。イヤイヤする自分を律して、なだめて、持続することだ。それが一番難しい。
僕は効率的にひょいひょいできるタイプではない。他の人がどんどん進んでいるのに、自分は何をやっているんだと思うかもしれない。こんなろくでもない努力は意味がないと思うかもしれない。そんなことはないよ。自分が何をやっているかを見失わないで続けていられれば、それは大きな意味を残す。これは陳腐な言葉ではない。本当に、妥協なしで続けるということはすごく大切なことだ。
甘やかさないこと。必ずどこかで、妥協しようとする自分が表れる。僕は実感する。自分の敵は自分なんていうとただのクサい表現だけれど、あれは嘘じゃないんだと思う。今までのいろんな場面で妥協しなかったことなんてほとんどない。その妥協が残すのはなにか。少なくとも、これからの人生でプラスになるようなものではない。
つらいと思ってもやめないこと。つらくなるようにやっているんだから、つらくなるのは当たり前なんだ。つらくならなかったら、それは頑張っていないということだ。自分を追いこんでないということだ。だから、つらくていいんだ。
つらい状況でも、今何をしているかを見失わないで、次に何をするかを考えること。意図的に追い込んでいるんだと思えば、つらいのは思っているほどつらくない。どこからでも学ぼうと思えば学べる、ということを知っていれば、意味のないことはない。
他人からみた結果が残せないかもしれない。でもそれでもいい。自分の中で糧になるものが残せたら、それでいい。